「池の水ぜんぶ抜く」問題は別に良いことをしてるわけじゃないというお話

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サムネイル出典:ホウドウキョク

どうも、うめだ(@umesooooo)です。

「池の水ぜんぶ抜く」というテレビ番組がなぜ人気なのか、というYahooニュースのトピックが非常に考えさせられたのでシェアします。

先に結論から。

この番組はメディア的に「面白い」だけであって、「良いこと」をしているわけじゃない。

ということです。

特にこのトピックでよく読んでいただきたいのがこちら。

外来種を排除する行為は善行ではない

 「在来種を守り、外来種を排除する行為」はべつに善行ではない。

それは落ち着いて考えればわかるはずである。少なくとも「誰が見ても問題なく正しい行為」ではない。観念的にクリーンな世界を作ろうという作業でしかなく、それは「気持ちのいい作業」でしかない。

みんなが何となくわかっているはずのことを、あえて言葉にしておく。

外来種の除去(もしくは、ある種の生物の排除)が行われるのは、本来は、自分たちの生活を守るため、のものである。人類の生存の可能性を伸ばすため、そういうことをする。また、外来種を積極的に導入することもあるが、それも自分たちの生活のためである。

生きていくために行っている。

それ以外の排除(生活にはあまり関わりのない外来種の排除)は、一種の趣味と言える。つまり、欲望を満たすためのものであり、快楽にすぎない。

たとえば、食料にするための狩りではなく、「趣味としての狩猟」というものがある。べつだん善行ではない。しかし悪行と決めつけるわけにもいかない。それを是とするか非とするかは各個人、ないしはそれぞれの共同体で決めてもらうしかない。

「やみくもな外来種の排除」はそれにあたる、と私はおもう。

生活にかかわりのない外来種が繁栄していようと、われわれサピエンスの生存とは関係ないのなら、放置しておけばいい。生きていくのに精一杯の人は、そうするだろう。

しかし、「外来種の繁殖によって在来種が圧迫されている、絶滅しそうである」と聞くと、何かしらの危機感を感じてしまう。外来種を排除したくなる。そして実際に排除行動に出たりする。『池の水ぜんぶ抜く』のある部分は、これである。

これは「在来種だから仲間であり、外来種は敵とみなす」という厳しい思想に基づいているようであり、「日本は日本のものだけで作られていてほしい」という願いが支えになっているようなものである。

外来種によって在来種が絶滅したら困る!って人が排除行為に勤しむのは分かるんですよ。

でも大体の人間が蚊帳の外なわけです。

もし僕がバス釣りをしていなかったとして、ブラックバスやブルーギルのせいで在来種が減少しています!なんて言われたとしましょう。

「ふ~ん・・・で?」

で、終わっちゃうわけですよ(笑)

別に在来種が絶滅しようと知ったことじゃないですから。

それを躍起になって外来種は悪者だ!排除しなければ!って言っている人はそれこそ日本は日本のものだけで成り立ってほしいと強く願っているんでしょうか?

じゃあ英語を話すのも止めるんですか?

パスタやピザも食べないんですか?

大げさですが、そういう風に突っ込みたくなりますね。

トピックにもありますが、これは趣味の範疇なんですよ。

もし困る人がいるのであればひっそりと趣味として続けてればいいんですよ。

国を上げて大々的にやることではありません。

まあ実際琵琶湖には趣味で、快楽の為にブラックバスをエサで釣って殺してるような爺がたくさんいますし・・・

バスバスターズと呼ばれているらしいですが。

僕はそれを咎めようとは思いません。

そんな感じで、非常に考えさせられるトピックでしたし、僕の考えが一気にまとまったように思います。

ちょっと前に書いたこちらの記事も良く読まれています。

関連記事:池の水ぜんぶ抜く大作戦という番組の表現がところどころおかしい件。

それでは!



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